成長
人は知らず知らずのうちに成長する、という当たり前のことを実感する日になった。
ドリンクバーで注いだジュースを片手に顧問の愚痴や同級生との悩みを話し合っていたわたしたちが、小洒落た飲み屋で酒を片手に将来のことを話すようになった。自分のことを1番に考えていたわたしたちが、いつしか自分以外の人のことを考えて行動しなければならないほど、大人になってしまった。
自分の人生なのに他人を主体に生きることほど悲しいことは無い。自分の人生なんだから好きに生きなさいと、友人に言ったし、言われた。
自分のことを一番に考えて、自分のしたいことをし、言いたいことを言う人をみると、羨ましく思う。よく言えば主張ができるひと。悪く言えば自己中心的なひと。なんで相手や周囲の人間を考えた言動ができないのかなって思う時もあれば、そうやって好きに生きれるのが羨ましいなとも思う。
わたしはいつからか喧嘩をしたくてもできなくなってしまった。言いたいことを言えなくなった。「わたしは今あなたのその言動に怒っているんだよ」と伝えたくても、伝えられなくなった。いつかからかは覚えていない、けれどもう随分と、人と喧嘩をしていない。
言いたいことを飲み込むのはすごく大変だ。ごくりと飲み込んだ瞬間喉を刺激していがいがするし、胃に到達してもムカムカするし、それを排出するのにすごく時間がかかる、そんなかんじ。
でも、言いたいことを言ってしまうと、もっと面倒なことになる。飲み込みづらいものを飲み込むことよりももっと大変で、面倒になる。そう思うと、飲み込んで耐えれば済むのなら、それでいいと思ってしまう。
これが大人なのか、子供なのかはわからない。でも、つらい。でも、こうするしかない。
成長することって、わたしにとっては残酷なものだったな。
そうやって疲れたとき、ゆんぎさんに会いたくてしかたなくなる。あなたの声が聴きたくて、姿が見たくてしかたがなくなる。あなたに会いたいです。
ゆんぎさんはどんなふうに大人になりましたか。精神年齢が、実年齢よりもずっと上のように感じられてしまうあなたが、大人になったのって、いつなんだろう。
ゆんぎさんの言葉は、到底20代のひとが言っているとは思えないものばかりで、あなたはどれほど苦労をして生きてきたのか計り知れない。
わたしがいま感じている苦しみや痛みよりももっと壮大なものをゆんぎさんは今まで経験してきたのだろうから、わたしが「辛いな、疲れたな」と感じた時、余計にゆんぎさんのことも労わってあげたくなる。ゆんぎさんが経験してきた苦労を、ゆんぎさんが飲み込んで喉を痛めた数々の言葉を、労わってあげたい。きっとわたしなんか必要ないほどゆんぎさん自身で労っただろうし、労ってもらっただろうけれど。それでも一言、いつもお疲れ様と言って、美味しいコーヒーとあったかいお布団を用意してあげたい。わたしのゆんぎさんへの気持ちって、そういうもの。
ゆんぎさん、いつもいつも本当にお疲れ様です。
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