20 years old

 ここ1・2年は、悩み戸惑いながら涙を流す夜がすごく増えた
 常に進路に直面していたし、20代という大台に乗ったいま、余計に自分と向き合う時間が自然とやってきた
 でも、こんなにももがき、葛藤するのは、きっとわたしが防弾少年団という存在、そして概念に出会ったからだと思う


 およそ2年前のわたしには、目標とすべき人もいなければ理想像すらおぼつかなくて、ただ楽しく生きられたら良いと思っていた。それなりにお金があって、不自由無い人生を送れたら。そんな、贅沢な幸せを望むだけの人間だったけれど、いつからか「努力してなにかを成し遂げたい」と思うようになった。その意識の変化の境目には、防弾少年団との出会いがある。
 わたしは今まで努力というものをそれほどしてきた記憶がなくて、勉強だって運動だって頑張らなくてもそれなりにできたし、受験勉強もほぼした記憶もなければ塾に行ったこともなくて、成り行きに任せて人生を歩んできて、その仕打ちがいまわたしに襲いかかっているなあと思う。なんとなく生きてきたせいで、これからどうしたいのか、どうすればいいのかがあやふやでわからない。もっと早くから自分と向き合っていたらなあと後悔を何度もした。けれどいま、もしもまだ防弾少年団に出会っていなかったとしたら、「まあこんなものか」とまたなんとなく日々を過ごしていたのだと思う。
 
 「防弾少年団」って、もはやひとつの単語であり、明確な概念をもつことばになったように思う。防弾少年団と聞くだけで、背筋がピンとなるような。誇らしくなるような。
 血のにじむ努力をし大成を成し遂げたひとたち。「防弾少年団」というチーム名を聞くたび、そんな印象が頭をかけめぐる。
 この防弾少年団に出会って、わたしもいつしか、防弾少年団のようになりたいと思うようになった。
 もちろん幸せに生きることがいちばんだ。何不自由なく平凡な人生を送ることが実はいちばん難しくていちばん幸せなことだったりする。それも良いと思う。
 けれどわたしは防弾少年団みたいに、刺激的で、激動的で、きらきらと輝いていたり、どんよりと曇っていたり、そんな日々をおくってみたい。
 どこまでも輝いていて格好よくて、でも人間臭い、そんな彼らのようにわたしも生きてみたい。
 防弾少年団に出会ってからしきりにそう思う。この思想はわたしの首をしめているだけなのかもしれないけれど。
 でも確実に、いまのわたしの原動力になっているのがこの気持ちなんだ。彼らのようになりたいという一心で、いま、模索している。
 もっと早くに防弾少年団に出会っていたかったな。そうしたら、いまこの瞬間ももう少し良い生活を送れていただろうに……。

 こんな大口をたたいておきながら、結局わたしはわたしのままなにも変わらないかもしれない。なんとなく生きたまま人生を終えるのかもしれない。でも、周りの人にとってはなんにも変わっていないように見えても、わたしの中ではたくさんの変化があって。わたしはわたしが納得できるように今を選択し、生きて。それでも良いのだと思う。
 好きな分野を勉強したあと、全く関係ない職種に就くのとおなじように、自分の中でしっかりと糧にして、また違う生き方を探す、それでも良いのだと思う。
 ゆんぎさんが配信で言っていた「べつに、所属して学んだ学部の職業につかなくたっていい」というような言葉にびっくりした。わたしの両親が口を酸っぱくして言っていた言葉だから。ゆんぎさんって本当に、わたしの親と似ているところがあって、だからこそ惹かれてしまうのだろうな……(話が逸れた)

 人の生き方って様々だ。だからこそ選択肢が幾つもあって、だからこそ悩むんだよなあ。やっとの思いで選んだ選択肢が、自分にとっては正解に見えても、違う感性と尺度で生きた他人にとっては不正解に見えることもある。そういうものなんだよなあ。

 自分の人生なのだから、自分の好きに生きよう。
 周りにどう思われたって、迷惑さえかけなければ、自分の好きに生きていいでしょ、それくらい許されるでしょう

 そうやって気楽に生きようって、また前を向く気になれる。それはきっと防弾少年団のおかげなんだろうなあ

 ハタチというこの時代にわたしが苛まれた葛藤たちを、ひとつも残さず宝箱にしまっておきたい。きっとこの悩んだ時間は、わたしという人間にとってすごくすごく大切なものだ。
 この時期に沢山悩んでくれてありがとうと未来の自分に言って貰えるように、がんばれ、いまのわたし、

행복의 척도

LOVE MYSELFをするために、ゆんぎさんへの愛を叫びつつ、自分自身の幸せを探します

0コメント

  • 1000 / 1000