0127

 予期せず、「永遠なんて存在しない」ということを学んだ日になった。
 時の流れほど無情で無常なものはないと思う。時の流れには誰も抗えないし、時は過ぎるからこそ誰しも終わりを意識しながら何かを始める。終わるために何かを始めることもある。それってなんの意味があるんだろう。たまに、走り続ける意味がわからなくなることがよくある。

 人生って不思議だ。なんとなく生きている人にも、適当に生きている人にも、必死に生きている人にも、平等に終わりがくる。悲しいほど等しく終わりがやってくる。ただ、必死に生きれば生きるほど、遺された人の記憶には深く残るのかもしれない。歴史が語り継がれていくように、教科書によって学ばれていくように、生きた痕跡を何十年も何百年も何千年も刻みつけている人もいる。
 そういう人達は、生きている間、なんのために生きていたのかな。どうして誰にでも等しく終わりがくる人生の中で、敢えてがむしゃらに生きたのかな。どうして、努力し続けられたのかな。偉人たちの生きる原動力って、何だったんだろう。

 今生きている人達も、どうして生きているんだろう。私はどうして生きているのか分からない。日本という安全な国に運良く生をうけ、すてきな家族のもとで暮らし、楽しい友達に出会い、学びたいことを学び、好きなものを見て、食べて、聴いて、幸せに生きている。
 私はすごくすごく贅沢な人生を送っていると思う。地球の恩恵を受けまくり。じゃあ、そんな地球の恩恵を受けまくっている私という人間は、果たして、そんな贅沢な生活をするに値する人間なのだろうか。ただただ恩恵を貪っているだけの、あまり生きていてもメリットがない存在なのでは、なんて、とんでもないことをたまに考える。今、考えて、この文章をうっている。

 永遠なんてないからこそ、こういうことを考えるんだろうなあ。
 わたしは、わたしの人生が終わるとき、わたしが生きた理由をちゃんと見つけられているのだろうか。

 防弾少年団のみんなは、どうなんだろう
 どうしてあんなに頑張れるんだろう。どうしてあんなに輝いていられるのだろう
 辛いな、やめたいなと思った時に思い浮かぶ存在がアーミーなら、どうして、アーミーのためにそこまでできるんだろう
 愛のためなのかな。よくわからないや。

 結局今日のブログで言いたいことがまとまらなかった。それくらい私が今考えていることって漠然とした疑問なんだろうなーと思う。もしかしたら答えなんてなくても、知らなくてもいいのかも。ただ生きたいから生きる、それでいいのかもしれない。

 でも、わたしは、こんな素敵な命を与えてもらえたからこそ、なにか、わたしが生きた証を、小さくてもいいから残してみたい。
 どこかの誰かの記憶にのこるような人生をおくってみたい。ああ、そういえばあいつ、特に何もしてなかったけど、なんか凄かったよな。そんな漠然としたもので、全然いい。

 言うなれば恩返しのようなもの。わたしに命をくれた神様に対する恩返し?なんか宗教みを感じてきたけど、そういうことじゃなくて、せっかくの人生だから、なんかしらやってみて、できることなら、生きていることがメリットになれるような人間になりたい。

 うん。頑張っている人たちも意外とこんな感じなのかな。
 明確な答えなんてなくてもいいのかも。しれない。うん。

 なんとなく、今日の記事を書いたおかげで、答えの一欠片が見えてきたかもしれない。
 ……?ゆんぎさん全然関係なくね?と思ったでしょ。
 ゆんぎさんがいなかったら、こんなブログ始めようとも思わなかったんだよ
 わたしがなにかの答えを見つけるとき、そのきっかけにはいつもあなたがいます
 ありがとうね、ゆんぎさん

행복의 척도

LOVE MYSELFをするために、ゆんぎさんへの愛を叫びつつ、自分自身の幸せを探します

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